ポカン君のブログ

私の始まりはMTGは5版のスターターでアニメはドラえもんのび太の恐竜だった。これは終わりへ向かっていくブログ。

一年経った今、『ひぐらしのなく頃に卒』と『うみねこのなく頃に』の謎と関係性が分かった!

ひぐらしのなく頃に卒の考察をしていきたいと思います。なぜ一年たった今なのか?
それはひぐらしがまたなき始めたからさ(激寒暗黒微笑)

注意、ひぐらしうみねこのネタばれを含みます。

雛見沢の元になった白川郷ひぐらし研究の為に行った(嘘)普通に旅行でした

意外な鍵

ひぐらし業は初めはリメイクかと思いきや新作でしたので、相当盛り上がり考察も多くされるようになりました。卒でサイヤ人バトルが始まるまでは・・・
サイヤ人バトルを機に考察するのもアホらしいという声が大きくなり、考察が一気に消えていきました。
そもそもなぜサイヤ人バトルが始まったのでしょう?
私はサイヤ人バトルこそが世界観にせまる鍵だったと思っています。
つまりひぐらしはフィクションの世界の話だと明確にするためです。
うみねこの魔法対決と同じです。
ただひぐらしうみねこでは、決定的に違うところがあると考えています。

ひぐらしうみねこの大きな違い

それはうみねこは、フィクションと現実が入り交じっている世界観で、ひぐらしは完全にフィクションであるという点です。場所も人物もストーリーもすべてが虚構であると思います。
根拠としては物語の中心にある雛見沢症候群の存在です。うみねこであれだけノックスを持ち出して、現実で発見されていない未知の科学を推理の対象にしなかったのに、ひぐらし雛見沢症候群を大きな嘘としてジャンルとしてはSFに片足を突っ込んでいる作風となりました。
しかし、推理物としては破綻していない。
それはひぐらしの世界の中には、この病気があってその虚構を疑い暴くことも推理の対象になっていたからです。それだけ開き直って作られたのがひぐらしという作品です。

二つの作品を作ったのは誰か?

フィクションということは、それを作っている人物がいるということですがうみねこに関してはそれが複雑で、ep1が紗音で、その他が、記憶を失った戦人と八城 が合同で書いているという設定です
ひぐらしは作者が誰かはっきりと明言されていませんが 八城であると思います。
根拠としてうみねこの観劇の魔女は、八城がメタ世界の外から観測してストーリーテリングする為に生み出した自分自身のキャラクターであり(それは作者にしかできない為)ひぐらしのエウアと見た目がほぼ同じで、役割もほぼ同じなのに無関係なのは無理があるからです。

羽生≠エウア

では羽生とエウアの違いは何かというと、羽生は平たくいうと作者によって観測する力の一部を付与された作品世界の中だけの神であり、意志疎通できる梨花の味方です、エウアは説明した通り作者の分身で、作品の中では全知全能の力があります。
エウアの目的は何かというと物語の続きを執筆する為と考えることが自然だと思います。
梨花と仲違いした沙都子に時間をもどす力を与えて惨劇をおこすように焚き付け、新たな物語を作り出しました。
では、なぜ最後に全知全能のはずのエウアが羽生に負けたのかというと、結局梨花と沙都子は和解をしてこれ以上は惨劇が起きない状況になり、これ以上物語が作れなくなった為だと思います。作家なんだからキャラクターをコントロールできないの?と疑問もありますが、魅力的なキャラクターは作家の意思に反して勝手に動くことや、自分が作ったキャラクターだからこそ最後はこう落ち着くと結論づけたのではないでしょうか?
作家の一番の敵はネタ切れであり、筆が進まない以上作品の中の神である羽生に傷つけられ作品への干渉力が弱まり世界から締め出されたと考えられます。

ひぐらしのなく頃に卒と魔女の正体とは何だったのか?

ひぐらしのなく頃に卒とは結果として二人の魔女が完成するまでの物語であったと思います。
魔女は梨花と沙都子かそれとも三四だとかそう単純な話ではなく、自分の研究を絶対完成させるという執念や大事な人を繋ぎ止め自分の物にしたいという思いの集合体が残忍な精神性となり、実際の経験によって絶対の魔女は作られ、それを受ける梨花の強靭な精神性と狂気で奇跡の魔女は作られたのではないかと思います。(卒の10話と最終話で沙都子と魔女が別人であることを示唆している)
つまり魔女とは普通の人間には到達できない精神性そのものを擬人化したものではないかと思います。

時系列とつながり

ここからは、推測になりますが八城はひぐらしの執筆を終えてその後、記憶を失った戦人と出会います。
そして、戦人と合同でメッセージボトルの偽書の執筆を始めるのですがたぶんすごく困ったと思います。なぜなら、うみねこは自分のキャラクターではない実際の人物を書かなくてはならないからです。
戦人から親族の性格や特徴を聞いても、非常時に結局どんな行動をとるかなんて分からないからです。
だからこそ、八城はかつて自分の物語の中で地獄を経験した魔女達をプレイヤーにしたのだと思います。
そして、魔女の正体が精神性なら追い詰められた親族達の中にも宿り、自然に凶行に走らせられると考えたのではないでしょうか?
結果、偽書は完成され縁寿を救うまでに至りました。
空想の産物であり虚構とはいえ惨劇を引き起こした魔女が現実の人間を一人助けたのです。
これこそが本当の魔法ではないでしょうか?

私はひぐらしうみねこが好きなのでこれからの展開を楽しみにしています。
とりあえず、うみねこのアニメを完結させて欲しいなあ。